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zoom RSS 楽毅

<<   作成日時 : 2009/06/13 20:03   >>

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がっき。

中国は春秋戦国時代(周王朝末期、秦王朝の前)、に活躍した武将。

と言っても当時の中国では士農工商などのカテゴリーはありませんでしたが。

彼は後の諸葛孔明や秦を滅ぼし、漢王朝を擁立した初代皇帝 劉邦 からも、
並々ならぬ尊敬の眼で評価された男なのです。

 当時の一国 燕の昭王に是非ともと、請われて当時彼は亡国の流浪武将で
あったにもかかわらず、その要請を受け入れるのです。

この前後の逸話が、有名な台詞 (せりふ)「先ず、隗(かい)より始めよ」です。

つまり、燕の昭王は隣国斉(せい)から代々受けてきた屈辱的な仕打ちに対して、
何時の日にかリベンジしたい。

という悶絶するほどの、強い願望を持っていたのです。

しかし、相手の斉は秦と共に当時の中国を牛耳っていた超大国なのですね。

他方燕はその斉と比するとその国力は、現代の日米以上の差があったわけです。

どう考えても勝ち目など無かった。

しかし、昭王は諦め切れなかった。


そこで、隗(かい)より始めよ ということになり、当初の念願である彼にとっての
人類最強の生けるウェポン、楽毅の招聘に成功するのでした。

彼は、政治的・戦略的において、それまでもまた今までの人類の経験も、
したことの無い勢いで、昭王の野望を叶えてしまうのです。

「それまでもまた今までの人類の経験も、したことの無い勢いで・・・」
というのは、元のフビライやマケドニヤのアレクサンダーとは違った色合いで、
その光彩を放つのです。

つまり、当時の政治情勢や国家間の思惑ややりとり、などに異才能を発揮し、
全球面的アンテナを駆使して、

中国では今までそして、それ以降も果たせなかった連合軍の能率的・効率的
戦略を斉に仕掛けたのです。

これは、例えば日本(及びその連合軍)が足並みを揃えて米国国土を占領下に
統治したに等しい行いでした。

 燕の昭王はまさに全幅の信頼を彼に寄せていました。

彼(楽毅)を誹謗中傷する家臣を彼(昭王)自らその首を刎(は)ねるほどの勢い
でした。

また、昭王は征服した斉の国土をすべて楽毅に与え、燕と斉両国がうまく
成り立って行ける様にとも、本気で考えていたそうです。

しかし、それは世論の許すところではありませんし、楽毅も心得たものでした。


 燕の昭王のリベンジはここに成功したのです。

彼は満足の中でこの世を去りました。

しかし、彼の世継ぎが愚昧であったため斉は息を吹き返すことになるのです。

楽毅もその世継ぎの猜疑と、彼(世継ぎ)の佞臣(ねいしん)連中からの
嫉みやあらぬ疑いをもたれたために、趙へ亡命することになるのです。

リベンジの結末や兵法のもたらす妙味とは、ここにその事実が隠されている
のではないでしょうか。

似たような史実は中国のそれにでも、枚挙に遑(いとま)がありません。

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